2020/1/22の22:30~のTV番組【歴史秘話ヒストリア】で紹介されるのは、日本が誇る“忍者”です。
近年では、多くのマンガやアニメなどで人気がある忍者。
そんな忍者は、どのような役割を担い、どのような生活を送っていたのか。
その歴史や、忍者の世界的な人気などについて解説していきます。
では、さっそく見ていくことにしましょう!
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忍者の知られざる歴史とは!?
出典https://www.flickr.com/photos/fiatpanda/4208067637
あなたは忍者についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?
忍者は古くから“敵の城中へ自由に忍び込み、密事を見聞して、味方に告知する者である”とされている存在です。
つまり、敵の懐へ忍び込み、敵には悟られずに、敵の情報を入手し、味方へその情報を伝達し、自国が優位になるように務める役柄の事を示しています。
忍者の歴史は、室町時代に遡ります。室町時代から江戸時代の日本で、大名や領主に従え、破壊活動、浸透戦術、暗殺などの仕事をしていたとされています。
そして、そんな一族一党を多く輩出したのが、伊賀国(いがのくに、現、三重県北部)であり、近江国甲賀郡(おうみのくにこうかぐん、現、滋賀県南部)でした。
あなたも伊賀の忍者と甲賀の忍者という言葉を耳にした事があるかもしれませんね。
一般的に伊賀と甲賀は対立関係にあったとされています。
それは何故なのでしょうか?
伊賀の本拠地は三重県伊賀市、甲賀の本拠地は滋賀県甲賀市に存在していました。
地理的に見れば、この二つの町は山一つを隔てて隣接しています。
なんと歴史的にはこの両者は対敵する事なく同業者のよしみで協力関係を築いてきたといわれているのです。
では何故、伊賀と甲賀は対立してきたとされているのでしょうか?
それは、戦国時代という特有の歴史の仕業だと考えられています。
伊賀の忍者は、服部半蔵によって徳川家康の配下として仕える機会を得ました。一方、甲賀忍者は豊臣秀吉によって徳川家の監視を行っていました。豊臣と徳川は、織田信長なき後の日本の覇権を巡って争った関係にあることは周知の事実です。つまり、伊賀と甲賀の対立関係はそれぞれの主人であった徳川と豊臣の対立関係が投影されたものなのです。
よって、本来は協力関係にあった両者は、時代の背景により、対立していたとみなされていたと考えられます。
忍者の生活とは!?
出典https://intojapanwaraku.com/culture/7903/
忍者とは、古代から豪族や領主、大名といった権力者に仕え、諜報活動や暗殺などを生業とする存在でした。一般的には「忍者」「忍び」という呼称で知られていますが、「素破(すっぱ)」「軒猿(のきざる)」「草の者」などと呼ばれることもあります。
忍者が生活していたとされる場所は“忍者の里”と表現される事があります。
彼らは集団で生活し、里の中で暮らしていました。
そんな忍者の主な仕事は、敵の情報を探り雇用主に知らせる“隠密活動”です。
情報を持ち帰ることが第一なので、みだりに戦ったりはしません。
仕事の遂行を第一と考える忍者にとって大切な事は、生き延び情報を持ち帰る事。
そのために様々な忍術、技能を会得していたと考えられます。
その中でも、特に“歩く”ための代表的な技を5つご紹介させて頂きたいと思います。
- 「忍び足」—足の小指から徐々に体重をおろしていく
- 「浮足」—つま先から足を下ろす
- 「犬走」—たって歩けないところを四つんばいで歩く
- 「狐走」—たって歩けないところをつま先を立てた四つんばいで歩く
- 「深草兎歩」—手の上に足を乗せて歩く
走る技術は手に入れた情報を迅速に届けるためです。
忍者は「早足の物」ともいわれています。
それぐらい忍者の走るスピードは速かったのです。
たとえば「韋駄天」と呼ばれる忍者は、一日に50里(約200km)を走ることができたとされます。
それに、忍者は変装の天才といわれています。
忍者は仕事に行かない日は、農民と同じ生活をしていました。
仕事に出かけるときは、忍者とわかってはいけません。なので、彼らは周りに怪しまれないように変装をしていたのです。
街道を歩く時は民衆・農民の格好から薬売り、山伏など、場合によって色々な服装に変えていました。
それだけ、忍者は一般の人から見ても分からないような存在だったのでしょう。
そんな忍者の食生活はどのようなものだったのでしょうか?
彼らは、健康のため、肉・魚・乳製品・砂糖などをとらないで玄米・野菜を中心にした食事をとっていたようです。
また忍び込む時、居場所が分からないように体臭に繋がる匂いの強い食材は食べないようにしていたという事。
ただ、一切断ち切っていたわけではなく、体力をつけるため食べることもあったようです。
そんな彼らが取っていた食べ物とは、一体どのようなものだったのでしょうか?
主に食べていたものは・・・
- アワ、ヒエ、玄米、麦など穀物、イモ類
- シイ、クワ、グミ、トチ、クリ、カヤ、松などの木の実
- ウズラの卵
などが挙げられます。
現代の私達にとっては質素な食べ物のように感じられますが、当時の彼らにとっては必要な食事だったのでしょうね。
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忍者は世界のスーパーヒーロー!?
忍者は日本は勿論の事、アメリカやヨーロッパでも人気が高い事で有名です。
では、なぜ世界で認知され好まれるようになったのでしょうか?
元々、忍者は極秘で任務を行い、時には暗殺もする存在です。
日本映画が欧米に進出するキッカケとなったのが、黒澤明監督の『七人の侍』です。
1950年代、60年代の日本の映画黄金期の象徴的な作品です。
この作品はアメリカでリメイクされ『荒野の七人』として上映される程、大きな影響を及ぼしました。
その後、シリーズ化された『忍びの者』という作品で、忍者は忍術を使うという神秘的なイメージが変わり始めました。忍びの者ではそのような要素は排除された事が大きな特徴としての作品です。
さらに、忍者は『007は二度死ぬ』という欧米の映画にも登場しました。
そして、1980年代のアメリカで忍者ブームの発端となったのが『Enter The Ninja(燃えよNINJA)』という作品です。
これを皮切りに、忍者を題材にした多くの本や、TVゲーム、アニメなど、その人気は爆発的に広がりました。
出典https://midorinohibi.com/%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%88/
近年では、日本で生まれた『NARUTO -ナルト』という忍者を題材にしたマンガ・アニメが世界で大流行。アニメ放映は80ヵ国以上、ライセンス商品は90ヵ国以上で販売されています。マンガに至っては、30ヵ国以上で翻訳出版され、累計3,000万部。全世界での累計発行部数は2億部を突破しています 。
それ程、凄まじいまでの人気が高い忍者は、世界のスーパーヒーローと言っても過言ではありません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
忍者の歴史や、生活、その人気の理由を知って頂けたでしょうか?
忍者は現在、世界中で人気が高い存在。もはや、エンターテイメントとして広く知れ渡っています。
これからも、様々なコンテンツが生み出されていく事でしょう。
ご興味があれば、ご自身でも調べてみると新しい発見などがあり面白いかもしれませんよ。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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