どうも、管理人のakiraです。
あなたは“社長”に関してどのようなイメージをお持ちでしょうか?
一般的に「お金を持っている」「偉そう」「責任がある」などのイメージを持たれている方が大半だと思います。
では、実際に社長をしている方が、どのような経験をして今に至り、どのような思いや哲学を持っているのかを見ていく事にしましょう。
社長という立場の人は、従業員として働く立場とは違う「考え方」や「ものの見方」があるはずです。
元来、人とは現在の自分とは違う考え方を知りたいと思う生き物。
今回は、大塚家具社長『大塚久美子』さんの経営戦略やその哲学的考え方に迫ります。
今の自分では持ち得ない発想を取り入れる事で、今後の人生が飛躍的に良くなっていくキッカケなるかもしれません。
それでは、彼女の経歴や考え方を紹介していきましょう。
スポンサードリンク
目次(contents)
【大塚久美子】才色兼備!?生い立ちや経歴について
出典https://dailytaurus.co/2015/05/28/
【大塚久美子】
・生まれ:1968年2月26日(51歳) ・学歴:一橋大学経済学部卒業 ・肩書:大塚家具代表取締役 ・父:大塚勝久(大塚家具創業者) ・結婚の有無:未婚 |
大塚家具の社長「大塚久美子」さんは5人兄弟の長女として育ちました。
美しいと評判になっていた彼女は一体どのような幼少期を過ごしたのでしょうか。
その生い立ちや経歴に迫ります。
幼少期の大塚久美子は倉庫の一角で育った
大塚久美子さんが生まれたのは埼玉県春日部市。元々、彼女の祖父がその土地で箪笥(タンス)職人の工房を開き、販売していました。
春日部は元々職人の街として栄えていました。というのも、桐の産地で日光東照宮の建設が終わった後、それに携わった職人達が日光街道を通って江戸に上る途中に移り住んだ街だといわれているからです。
1969年3月、彼女の祖父が家具の販売事情を独立させるかたちで『大塚家具センター(現在の大塚家具)』を創業。その当時の社員は20名ほどだったといいます。
大塚久美子さんが1歳の頃、当初の大塚家具の社長であった父「大塚勝久」さんが店舗と倉庫を建て、その倉庫の一角で彼女とその家族は生活をしていました。
幼少期で身につけたお客様目線とは!?
商売の家庭で育った大塚久美子さん。
5人兄弟という事もあってか、小学生の頃は夏休みや冬休みになっても店を留守にできず、旅行や初詣なども満足に行くことができなかったという。
また、引っ越しも度々あり、その都度家具の買い替えもしていたとの事だが、子供部屋にはお古の家具が回ってくる。彼女はいつも「家具はこんなふうにして、本当はこんな部屋に住みたいのに」と思っていました。
購入する家具はもちろん大塚家具の商品。しかし、度々自分の欲しい商品が無いこともあったとの事。そこでの経験が彼女の大塚家具での仕事の姿勢に反映されている。それは「自分たちが消費者と同じ目線を持ち、自分たちが欲しいけれども無いものを自分たちで供給する事」です。
“消費者の目線に立つこと”
これを無くしては大塚家具の繁栄はなかったでしょう。
大塚久美子の学歴とは!?意外な成績について
大塚久美子さんは中学・高校とお嬢様学校で有名な「白百合学園」で過ごしました。白百合学園は“白百合の花のように、清らかでつつましい中にも 一本芯の通った強い女性を育てる”という意味が込められています。現在の彼女は正にその通りの人物になったと言っても過言ではありません。
現在の彼女からは想像ができないかも知れませんが、学業の成績はあまり振るわなかった大塚久美子さん。三角関数が苦手で、数学は赤点を取ることもあったといいます。
その後、一橋大学経済学部に進学した彼女。経済学部を選んだ理由は高校生の頃イギリスの有名な経済学者の“ジョン・メイナード・ケインズ”にハマったからだといわれています。
大塚家具には入らない!?|大塚久美子のキャリアについて
一般的に親が商売をしている家庭に育った子供は、親の商売を受け継ぐ傾向が強かった当時。
しかし、大塚久美子さんはそうはしませんでした。
彼女は一橋大学経済学部出身という事もあり、初めから就職先を金融関係に絞っていました。
バブル経済真っ只中の時代に就職した会社は「富士銀行(現在のみずほ銀行)」でした。しかし、彼女が就職した途端にバブルが崩壊。その後、融資担当を2年間勤めたといいます。
バブルが崩壊してから土地の値段がどんどん下がり、担保の価値も下がっていた当時。融資よりも回収が彼女の業務のメインになっていたとの事です。
その業務を通して金融業の難しさなどを痛感していった大塚久美子さん。
そんな彼女だったが、1994年に大きな人生の転機を迎える事となります。
その当時、大塚家具は大規模小売店舗立地法改正を受けて業務拡大を目指していました。大阪への出店の計画もあり、彼女の父親でもある大塚勝久さんは「自分も大阪に行くことになるから、東京が手薄になる」と考え、人事を通して大塚久美子さんが呼ばれる事になりました。
大塚久美子さん自身はその頃、銀行で国際広報を担当していました。“期待に応えたい”と考えた彼女はその時初めて大塚家具への入社を果たす事となりました。
小規模な家族経営の限界を感じていた彼女は、次世代へのバトンタッチがスムーズに行われるよう準備をしておく必要があると考え、その下地づくりをする事が自分の役割だと悟ります。
大塚久美子さんは入社当初から、組織として成長していけるような仕組みづくりや人材教育などに力を注いでいきました。経理や広報の責任者を兼任しながら、会社が更に上のステージへいけるよう尽力を尽くします。
2年後の1996年には取締役に就任した大塚久美子さん。
その後、会社の発展に貢献し彼女が入社してから10年で社員数・売上高ともに3倍程になり、大きな成長を遂げた大塚家具。
“やれるだけの事はやった”と彼女は考え、2004年に取締役を退任し、セミリタイヤする事となります。
再び社長に!?セミリタイヤした大塚久美子のその後とは!?
セミリタイヤした彼女はこれまでの経験を活かし、コンサルティング会社『株式会社クリオア・コンサルティング』を立ち上げ活躍。更に、彼女の友人が経営している『フロンティア・マネジメント株式会社』の執行役員に就任。そして、大塚家具の資産管理会社である『株式会社ききょう企画』の代表取締役にも就任。
そんな中、2006年にインサイダー取引で大塚家具が課徴金納付命令を受ける不祥事が発生。そのコンサルとして処理業務を行っていた彼女だったが、その流れで大塚家具に戻る事となり、2009年大塚家具代表取締役社長に就任します。
その後、お家騒動で世間を賑わす事となろうとは、当初の彼女には知る由も無い事でした。
スポンサードリンク
【大塚久美子】意外!?気になる年収とは!?
出典https://dailytaurus.co/2015/05/28/
高級ブランドで有名な大塚家具の代表取締役社長の大塚久美子さん。
その気になる年収はいくらなのでしょうか?
日本の社長の平均年収とは?
日本のトップ企業の社長の平均年収は約4300万円といわれれています。
この数値はあくまで平均を示していて、本当にトップの企業の社長となるとその年収は50億を優に超えます。
同じ“社長”という役職であったても、企業の規模が違うとその報酬も違ってくるのは当たり前の話です。
大塚久美子の年収とは!?
それに対し、大塚久美子社長の年収はどのくらいなのでしょうか?
なんと、彼女の社長としての年収は1000万円だともいわれています。
大塚久美子さんは社長に就任してから、会社の業績悪化の為、役員の報酬もカットし自らの収入も減らさらざる負えない状態になったといいます。
ちなみに大塚家具の前社長の父、大塚勝久さんの年収は常に1億円を超えていたとの事。
では何故、大塚久美子さんはそんな状況の中、大塚家具の代表取締役社長で居続けているのでしょうか?
大塚久美子の経営戦略とは!?親子の関係を悪化させてでも成し遂げたかった想いとは?
父と娘、食い違う経営戦略
元来、大塚家具は高級路線をメインとして事業展開をしていました。
その戦略は店舗で会員登録をして頂いたお客様をターゲットに、お店の中を販売員が一緒に回りながら“まとめ買い”をしてもらう事でした。
この“まとめ買い”により大塚家具は業績を大きく伸ばしたといわれています。
しかし近年、ニトリやIKEA等の低価格で大衆に人気が高い「単品買い」の影響をうけ、大塚家具は徐々に衰退の一途を辿ります。
そこで、社長である大塚久美子さんは『今の時代で高級路線は敷居が高すぎる。もっとカジュアルで大衆が入りやすい店舗づくりを』をモットーに、経営方針を一新する事となります。
「消費者は変化するので手法も変わるのが自然だ」と主張する久美子社長の考えに反対したのは、彼女の父で大塚家具の創業者である大塚勝久です。
その当初、大塚家具の会長であった大塚勝久さんは社長の久美子が打ち出す改革案を否定し続け、その結果両者の間で大きな確執ができていきました。
2014年その煽りを受け、一旦社長の座を退く形になった大塚久美子さん。
しかし、翌年2015年に行われた株主総会で彼女の社長復帰が実現。その理由は経営管理体制の強化の為としています。
大塚久美子の想い
その後も、お互いの権力を巡って争いを続けていくことになる父と娘。
大塚家具は幾度となく社長が入れ替わっていく会社となりました。
最終的には父の大塚勝久さんは退任、社長には娘の大塚久美子さんが就くことになる。
その後、大塚勝久さんは自身の高級路線を追求するべく『匠大塚』という新店舗を立ち上げます。一方、大塚久美子さんは高級路線から時代に合わせたカジュアル路線に経営方針を転換していくが、それまでの流れなどもあり現在も赤字決算が続いています。
では、そんな彼女の想いとは一体どのようなものだったのでしょうか?
2019年4月26日、対立をしてきた両者でしたが、大塚家具の社長大塚久美子が父の大塚勝久に和解を申し入れました。
その直前に開かれたインタビューの中で、父は「娘が来たら嬉しい。だって4年間会ってないから。ずっと心配だった。業績だけではなく健康も大事。健康が一番心配だった。」と話しています。娘の大塚久美子さんも「元気そうで安心した。来てもらうだけでも嬉しいと思った。お会いできてよかった。」とその心打を明かしています。
互いに確執があったといわれている両者。
しかし、和解の際にはお互いを想う気持ちが垣間見れました。
権力争いと報道はされてきたが、会社の繁栄を考えていたという点においては一致していました。
商売という環境の中、家族として暮らしてきた父と娘。
家具に対する思いも通じるものがありました。
しかし、変化する時代の中で会社を守るための戦略が食い違ってしまった。
それはある意味仕方のないことです。
未来とは誰にも分からないものだから。
その時の最善を尽くす。
それを両者から学ばせて頂いたように思います。
スポンサードリンク
大塚久美子の哲学、その真相に迫る!
出典https://blog.goo.ne.jp/distribute/e/67fbf15b50fd0610cc49e1599a222f98
多くの騒動があったのは確かだが、大塚久美子さんの信念は一貫している。
そんな彼女の考えや哲学をご紹介しましょう。
人は見ているものに影響され、つくられる
毎日、目にしているものは何でしょうか?
自分の顔、家族の顔、職場の人達の顔。
それ以上に目にしているものは“家具”です。
大塚久美子さんは「毎日、目にする家具だからこそ慎重に選ぶことが大切」とお客様に伝えています。
仕事で疲れて帰ってきても、ホッとする空間が部屋である。
その部屋のインテリアが自分の納得いかないものだとしたら、果たしてホッとできるでしょうか?
彼女は「この部屋居心地が悪いな」と思うのと「今日も素敵な部屋で過ごせたな」と思うのとは生活をしていく上での満足度が全然違うと話しています。
確かにそうだ。
何か違和感がある部屋と、自分が気に入っている部屋とではそこに住んでいる時の感覚が違うのは当たり前。
前者は落ち着く事はできず心が休まらない、後者は居心地が良くホッとする。
大塚久美子さんは“スローライフ”の重要性を説いています。
慌ただしい日々を送っていても、自分が本当に気に入っている家具に触れるとオンからオフに切り替える事ができ、本来の自分のペースに戻れる場所、あるいは、こうありたいという自分になれる場所を作ることが大切で、それを可能にするのがインテリアだと語っています。
どう生きるかは自分で決められる
ほんの数十年前までは、会社に就職し働いていさえすれば、それなりの幸せを得れた時代でした。しかし、現在は全く違う世の中になっています。
偏差値の高い大学に入学し、大手と呼ばれる企業に就職ができたとしてもいつクビを宣告されるかが分かりません。それが現在の日本の現状です。
大塚久美子さんは、そんな中こんな言葉を口にしています。
『今はとても不確実な世の中で、人生何が起こるかわかりません。どうなるかわからなくても、どう生きるかは自分で決められます』
この言葉を目にした時、私はハッとしました。
確かに時代の流れで以前のようには上手くいかない事も多くなったかもしれません。
就職難で正社員になれたとしても十分な給与が貰えない。
残業、残業で自分の時間さえもまともに取ることさえ出来ない。
大抵の人は、会社や政治、世間を逆恨みして「自分は悪くない」という考えに至ると思います。
しかし、大塚久美子は違いました。
世間が「こうあるべきだ」と考えている空気に惑わされず、“どう生きるか”を意識し行動していくことが重要だと話しています。中途半端に妥協して生きていると後悔する事が多くなる。しがらみに縛られずに考える事で、それまでとは違った方向性が見えてくるのではないだろうか?と彼女は主張しているのです。
全くもってその通りだと思います。
一度きりの人生。
周りの意見に合わせて行動が出来ないでいると、あっという間に人生は終焉を迎えてしまいます。
それを意識して生きているのか、周りの意見に振り回されて生きているのか、どちらの方に自分が属していくのか。それはこれらの人生において大きな影響を与える考え方なのです。
さぁ、あなたはどちらの考え方を選びますか?
【新生大塚家具】スローファニチャーとは!?
出典https://blog.goo.ne.jp/distribute/e/
価値あるものを次世代に残す。
そんな考えが大塚久美子さんにはあります。
“ファスト”という考え方
現代は何かと“ファスト”が好まれる傾向にあります。
その顕著な例としてはファストフードです。
ファストフードとは短時間で調理、あるいは注文してからすぐ食べる事ができる手軽な食品や料理の事を示します。例えば、マクドナルドや吉野家、ケンタッキーフライドチキンなどがそれに該当します。
家具の世界にも“ファストファニチャー”というものが存在します。
ファニチャーとは家具の事です。
従来、家具はきちんとした作りをしているものは、修理をしながら半永久的に使えるもの。
しかし、ファストファニチャーは、生産効率だけを考えて作られていて、修理できるような作りになっていないので耐久年数は2~3年といわれています。なので、引っ越しの際にも捨てる事が多くなる傾向にあります。
大塚久美子さんは「毎年ものすごい量の家具が作られ、それが約3年に1回捨てられる。そのゴミの量を考えると恐ろしい。資材として切り倒した木を同じように育てようとすると何年かかるのか。家具の資材ですでに枯渇して使えなくなったものは沢山ある。当社が“きちんとした”作り方をした家具にこだわり、修理やリフォーム、そしてリユースに取り組んでいるのは、このような問題意識もあってのことなのだ。」と述べています。
大塚久美子が考えるスローファニチャーとは?
ファストファニチャーの対極にあるのがスローファニチャーという考え方です。
大塚家具は創業当初から、「安いもの」を提供するのではなく、「上質なものを安く」提供してきました。
長く安心して使い続ける事ができる家具にこそ、本当の価値があると確信しています。
家具は長く使っていると『愛着』が出てくる。
それはファストファニチャーには無い魅力の一つなのです。
スローファニチャーとは、デザインや機能、使い心地が優れているだけではなく、長い間、安全に、機能や使い心地を損なうことなく使い続けられるものと定義されています。
そして、その家具が何故その素材で作られているのか?家具を作った職人がどのような思いを込めてそれを形にしたのか?その思いや人の温かみ、自然の息吹が感じられる家具を意味します。
大塚久美子さんはこれからも、そのような思いを大切にして大塚家具の未来を担っていく存在なのです。
彼女の今後の活躍に期待したいと思います。
まとめ
今回は、大塚家具社長の大塚久美子に焦点を当ててお話してきましたが、彼女に対しどのような印象を持たれたでしょうか?
報道では“お家騒動”として、その権力争いだけが論点にされていますが、彼女が育ってきた環境や考え方、ビジョンについてはあまり知られていなかった事でしょう。
本当に大切にしてくべきものは何なのか。
それを彼女から学ばせて頂きました。
常に顧客目線で活動している大塚久美子さんの今後に目を離すことができません。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
スポンサードリンク