田代まさし被告に検察側から懲役3年6ヶ月が求刑されました。
彼が芸能界に進出したのは、1975年頃。
その名前を知らない人はいないといっても過言ではないでしょう。
そんな田代さんは一体どんな人だったのでしょうか?
彼の活躍や家族についてもリサーチしてみました。
さっそく、ご覧ください。
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田代まさしってどんな人?経歴プロフィール
出典https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/10/news055.html
東京都内の自宅マンションで覚醒剤(かくせいざい)を所持したなどとして、覚せい剤取締法違反(所持、使用)と大麻取締法違反(所持)の罪に問われた元タレントの田代まさし(本名・政)被告(63)=茨城県鹿嶋市=の初公判が13日、仙台地裁(大川隆男裁判長)で開かれ、田代被告は起訴内容を認めた。
検察側は懲役3年6月を求刑し、弁護側は執行猶予付きの判決を求め、即日結審した。判決は3月4日に言い渡される。
検察側は論告で「覚醒剤への依存は顕著で再犯の可能性が高い」と指摘。弁護側は「現在リハビリに取り組んでおり、社会生活で更生の機会を与えることが重要だ」と訴えた。
田代被告は被告人質問で「反省している。(薬物依存の治療は)現在も進行しており、気持ちも落ち着いてきている。今一度、(更生の)チャンスがほしい」と述べた。
起訴状などによると、田代被告は昨年11月6日、同区内の自宅マンションの通路で覚醒剤を含む水溶液を所持したなどとしている。
田代まさしの逮捕歴
田代まさし被告に検察側から懲役3年6ヶ月が求刑されました。
それに対し、田代被告は起訴内容を認めたという事です。
判決は3月4日に言い渡される予定です。
彼が覚醒剤を所持していた事がわかり、初めて逮捕されたのは2001年の12月のことでした。
2001年12月9日、彼は近所の男性宅の風呂を覗き、軽犯罪法違反で逮捕されました。
その時、自宅から覚醒剤が見つかり、覚醒剤取締法違反の容疑で再逮捕されました。
その後、4回の覚醒剤所持の容疑で逮捕された田代被告。
彼は一体どのような人物だったのでしょうか?
田代まさしの経歴とは!?
田代さんは、1956年8月31日生まれで現在64歳。
身長172cm、血液型はA型。
生まれは佐賀県、育ちは東京都。
彼が全盛期の頃には、歌手、タレント、コメディアン、司会者、映画監督、作詞家など、多方面で活躍を見せてくれていました。
本名は「田代政(たしろ まさし)」で、黒人の演歌ドゥーワップグループの“シャネルズ”のメンバーとして活躍。
愛称は“マーシー”として世間には知れ渡っていました。
彼の出身校は「芝浦工業大学工業高校」で、同級生には『鈴木雅之』さん。
中学・高校とケンカに明け暮れていたという田代さんですが、歌手を目指す鈴木雅之さんに感化され、彼もその道へと歩を進めることとなります。
トラックの運転手などを経て、「シャネルズ」として音楽界に進出した田代被告。(後に、フランスの高級ブラド“シャネルからの物言いがついたことで『ラッツ&スター』に改称)
ファーストシングル「ランナウェイ」がミリオンセラーとなり、一気に人気グループの仲間入りを果たします。
その後、30歳になった田代さんは、1986年に志村けんさんにお笑いのセンスを見いだされタレントとして活動することになります。
彼は瞬く間に人気者となり、それからは彼の顔をテレビで見ない日はないというくらい、田代さんの活躍は凄まじいものがありました。
彼は、その独自のお笑いのセンスから「ダジャレの帝王」「ギャグの王様」「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業のテレビCMにも多数出演するなどの多くの人々から人気を博していました。
そんな彼はその後、覚醒剤取締法違反で逮捕されることになります。
2004年と2010年にも同じ容疑で逮捕され、刑務所にも収監されている田代さん。
その後、2014年の出所後に、薬物依存リハビリ施設の“ダルク”に通い、薬物依存からの脱却を図っていました。
しかし、今回またも覚醒剤取締法違反などにより世間を賑わしている田代被告。
リハビリを決意し、専門の施設に通っていた彼でさえも、再犯を繰り返してしまう覚醒剤。
その依存性に、私は改めてその存在が恐怖に感じ、薬物が撲滅する日が来ることを切に望まざるようには得られませんでした。
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田代まさしの過去の活躍とは!?
そんな田代さんは、一体どれ程fの活躍をされていたのでしょうか?
彼は、1975年ドゥーワップグループの「シャネルズ」の一員として歌手活動を開始しました。
そのグループの中には、鈴木雅之さんや桑野信義さんもいらっしゃしました。
そんな「シャネルズ」の人気は大爆発!
メジャーでのデビューシングル『ランナウェイ』がいきなりオリコンで1位に!
その売上枚数は110万枚にも昇りました。
さらに、2枚目の『トゥナイト』もオリコン3位、3枚目の『街角トワイライト』もオリコン1位になり、その快進撃は留まるところを知りません。
そして、4枚目の『ハリケーン』もオリコン2位の大ヒットとなり、シャネルズは日本で大人気の音楽グループとなりました。
こんなに人気のあるグループに彼が所属していたなんて知りませんでした。
驚きですよね。
さらに、田代さんは1986年に志村けんさんにお笑いのセンスを見いだされ、タレント、コメディアンとしても活動を開始します。
彼の出演番組では『志村けんのバカ殿様』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』などが特に人気の高い番組として知られていて、志村さんとのやり取りは本当に面白かった事を覚えています。
さらに、『笑っていいとも!』の火曜日のレギュラーも1年間務めたり、『なるほど!ザ・ワールド!』にもレギュラー出演されたり、当時人気が高い番組で彼を見なかった日はない程の活躍をされていました。
そして、田代さんは演技力も高く、数多くのドラマにも出演。
映画監督としても活躍されていました。
MCなどもこなす田代さんは、『それゆけ!マーシー』や『田代まさしのおいしいじゃん』といった冠番組も持つようになりました。
このように、彼は才能豊かで、お茶の間の人気も高く、多方面で活躍されており、本当に人気が高かった事がわかります。
田代まさしの家族について
出典https://kaikumikodaisuki.com/20006.html
そんな田代さんの家族について調べてみました。
彼は1985年4月、一般女性と結婚されています。
奥様については、一般の方でしたので有力な情報を得ることはできませんでした。
分かった事は、現在田代まさしさんとは離婚ているという事です。
2人の子供に恵まれた田代さんですが、2000年に盗撮容疑で書類送検され、その後覚醒剤取締法違反で逮捕された頃、獄中離婚されたそうです。
しかし、田代まさしさんがダルクの職員として活動している中で2015年には分かれた奥様と食事をしている事をTwitterでつぶやいている田代さん。
完全に関係が絶たれた訳ではなさそうですね。
次に長男の「タツヤ」さんについての情報です。
タツヤさんは1983年4月13日生まれの36歳(2020年現在)。
バンドグループ『鉄拳』のメンバーとして活躍されています。(現在は活動休止中)
あだ名は“ターシー”。
そのあだ名については、田代という苗字といえば田代まさし。それがキッカケで“マーシー”と呼ばれていたそうです。
父親のニックネームで呼ばれるのが嫌で自ら“ターシー”と名乗るようになったとか。
タツヤさんは父親の事を隠すことなく丸ごと受け入れて色々と活動をされているそうです。
続いて田代さんの娘さんの「小夏」さんについて調べてみました。
小夏さんの詳しい生年月日は分かりませんでしたが、おおよそ1989年~1990年頃になるようです。
彼女は1998年に『小夏・ひとみ・レイナ』というユニットでCDデビューを果たしています。
小夏さん以外の2人も2世で、ひとみさんの母親は「研ナオコ」さん、レイナさんの父親は「ブラザー・コーン」さんです。
彼女のユニットは、映画『それいけ!アンバンマン てのひらを太陽に』の主題歌「てのひらを太陽に」を歌っています。
その後、主だった活動はしておらず芸能界を引退しています。
以上が、田代まさしさんの家族に関しての情報です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、田代まさしさんの過去の活動や家族について調べた事を書かせて頂きました。
何かと注目度の高い田代さん。
何だか憎めないと思ってしまうのは私だけでしょうか?
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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